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どうも、ピアノ部部長、音大生のこうきです。今回はショパン作曲のスケルツォ全4曲を一気に解説してみようと思います。初期から円熟期にかけて作られたスケルツォの意味は「おどけて」。
ショパンが作るとしっかりとした大曲に見えてしまいますが、実は滑稽なエッセンスが詰まっています。3拍子なのに4拍子に聞こえるとか、何度も繰り返すとか、ね。
(今日4記事目で頭がやばい中書くので誤字誤字誤字~って感じかもしれませんが多めに見てください)

目次
ショパン:スケルツォ第1番ロ短調Op.20
炎のように
ショパン最初のスケルツォはロ短調で書かれ、まさかの不協和音で始まります。それも「Con Fuoco(炎のように)」が付され、その激した音楽が垣間見えます。
Con fuocoの指示に恥じぬ炎のような音楽、燃え上がるたびに炎は渦を巻き、我々を巻き込みます。突然炎が消え、焼けた野原で1人歌うのです。「ここは地獄か…。」救うような音楽を見せてもあっというまに炎は広がり、誰にも消化不可能なまでに燃え上がるのです。
クリスマスの歌
そんなCon fuocoを経た中間部は、ポーランドの古いクリスマスの民謡が引用され、まったく炎の勢いを忘れたかのような優美な旋律が歌われます。この民謡はもちろん歌曲にもなっています。しかし、この旋律、びっくりするくらい繰り返されます。まさに「スケルツォ」。
特に冒頭のあの主題はもう何回も出てきて、音大生なら聴音できるくらいです。最初のスケルツォは「延々と続く繰り返し」によって表現されました。
ショパン:スケルツォ第2番変ロ短調Op.31
ところてん、はんぺん、メンチカツ
2作目のスケルツォはソナタの2番と同じ、変ロ短調で書かれました。それにしても変ロ短調と書いてあるのにすぐ変ニ長調へ逃げる作品は多いですよね。チャイコフスキーのピアノ協奏曲、ショパンのスケルツォの2番、ソナタの2番。
おっと話が逸れました。そう、この作品の冒頭で、小さく呟いてみてください。「ところてん、ところてん。はーんぺーーーん、めんちかっつ」と。日本人向けに書いたのかと思うような完璧な語呂合わせですね(ショパンに呪い殺されるかも)。
中間部の意表を突いた調性こそ滑稽
変ロ短調、変ニ長調ときたら中間部はヘ短調や変イ長調、変ホ短調が考えられますが、まさかのイ長調になりました。フラット調からいきなりシャープ調に飛ぶのは異例中の異例で、ショパンの独特の和声感が見て取れます。
この中間部、私は森を想起させられます。静寂な森に、ずーんと響く何か。時々怪しげな音がっ超えますが、鳥でもいるのでしょうか。とても神秘的な気持ちになります。
しかし、このイ長調こそ滑稽で、気が付いたら変ロ短調に戻っているのです。あの神秘的なイ長調は幻だったのですね…。
ショパン:スケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39
届かない和音を書く滑稽さ
この作品の冒頭、聞いている分にはわからないのですが、手が大きくないと届かない和音が書いてあります。きっとショパンは届かなかったはずです。それなのにあえて書く滑稽さが見られますね。
しかし、バラード第4番Op.52では絶対にずらせない場面で10度を書いているので、きちんと時間をかけて準備ができるのなら10度が届いたのかもしれませんね。私は届かない!
終わりは長調?短調?
ショパンの楽曲の終わりは、終わりごろになると大体調性がはっきりしてくるのですが、この作品は嬰ハ「短調」で終わるのか、嬰ハ「長調」で終わるのか予想がつきません。
本当の最後の場面、実は短調で終わるように仕掛けられているのにも関わらず、長調で終わるのです。さんざん焦らしておいて短調で終わるようにしたのに、それを裏切って長調で終わらせるのです。まさに滑稽…。
ショパン:スケルツォ第4番ホ長調Op.54
ショパン円熟期の最高傑作の1つ
ショパン円熟期の作品とは作品40~60あたりに集中しています。この時期の作品は心情と音楽とテクニックにおいて最高傑作が詰まっています。そのなかの最後のスケルツォは、4曲中唯一の長調で書かれました。
朗々とした主題とは裏腹に、素早く鍵盤を駆け巡るセクションも現れ、まさに滑稽。しかしこの滑稽さには非常に余裕があり、ある意味道化師のような意味を持たせるでしょうか。この道化師から中間部の憂いの音楽へと様変わりするのですから、スケルツォの名は伊達ではありません。
テクニック的に特殊な作品
さて、この作品はショパンの作品の中でも最もショパンの手癖があらわになった作品でしょう。手首の柔軟さや、手首のバウンドを使わないオクターブの奏法が求められます。作曲者の手癖はときにテクニックのヒントとなるのですが、この作品ではもうただの手癖なのです。
この作品は上手い演奏者しか弾かないので名演が多いです。逆に、ショパンの手癖に対応できなかった人はこの作品を人前で弾かないんですね。バラード全曲というプログラムより、スケルツォ全曲というプログラムが少ないのはこのためでしょうか。
まとめ
ショパンの初期から円熟期にかけて作られたスケルツォは、常に「おどけて、滑稽に」を意識して作られていました。様々な滑稽さが見受けられる中、最後の第4番は余裕のある滑稽さが見え、まさに「道化師」のようです。
特に第4番はショパンの手癖が爆発した作品で、非常に弾きにくいです。最初のスケルツォは第1番か第2番をオススメしておきます。
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