【ピアノ練習法】音楽的な練習法とは?~音楽の源流を探す旅へ~

【ピアノ練習法】音楽的な練習法とは?~音楽の源流を探す旅へ~ 練習法
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ざっくり言うと

  1. 音楽の表現は私達が思っているよりずっとシンプルなもの
  2. 体の意識を捨てて100%耳に集中すること
  3. 音楽的な体の使い方ができるようになること

どうも、ピアノ部部長、音大生のこうきです。最近Krystian Zimerman(クリスティアン・ツィメルマン)にハマっています。彼のどこまで音楽的な音楽はどこから生まれるのか…。と考えていたところです。

すると、こんな記事が飛び込んできました。

私はこれまでに一度もテクニックのための練習、というものをしたことはありません。

ピアノステージ Vol.09-1 Stage+人(7) クリスチャン・ツィメルマン より

これはツィメルマンのインタビューで飛び出した言葉で、私は衝撃を受けました。ルトワフスキの超難曲を弾きこなす彼が、テクニックの練習をしたことがないとはどういうことか、疑問に思いました。

そこで、私もツィメルマンのように体への意識を一切捨てて、耳に集中してみることにしました。そうすると、確かに音楽的な演奏が出来るではありませんか!この感覚を記事にしました。

目次

音楽的な演奏とは?

音楽で伝えられることは限られていること

まず、音楽的な演奏について考えてみようと思います。音楽的な演奏とは、作曲家が音符に託した思いを表現することですが、実はピアノは「思い」を表現することは不可能なのです。

ピアノやその他の楽器で表現できるは、音量の変化や音色の変化、旋律の歌い方など、実はかなり即物的なことなのです。「ラフマニノフが復活を決意した気持ちを込めてピアノ協奏曲第2番を弾こう」と言っても、思いを込めたところで音は変わりません。

では、なぜ私達は演奏に心を惹かれるのでしょうか?

それは、演奏が私達の想像を膨らませてくれるからです。音色の変化や音量の変化は即物的なものですが、それによって私達は想像を膨らませます。軽い感じ、速い感じ、それらの表現によって私達は「踊っているみたい」や「ジェットコースターみたい」などと感じるのです。

ここで言いたいのは、演奏者として特定の心情を伝えることは無理なことです。例えば「軽い感じ」で弾いたとしても、それは「小さいお菓子」を想起させるかもしれませんし「海辺の砂」を想起させるかもしれません。

演奏者である私達は、コントロールできる音量や音色の変化によって、聴衆の想像を掻き立てることを忘れないでください。

音楽の表現はよりシンプルなものを組み合わせること

「軽い感じ」というのは、どのように表現したら良いのでしょうか?まず音量は大きくないでしょう。またアーティキュレーションはスタッカートなど。このように、よりシンプルに、即物的に考えることにより表現は可能になります。

軽い感じを目指しているのに、大きい音で、思いタッチを使ってはいつまで経っても「軽い感じ」は出ません。もちろん、音楽の源流にあるのは「〜感じ」で良いのですが、そこから下流にあるのはより即物的なものです。

音楽の源流から即物的な表現の要素を汲み取り、さらに体の使い方やソルフェージュ的なこと、それらを経ることによって大河になり大洋(聴衆)に注がれるのです。

逆に、体の使い方やソルフェージュ的なことは下流にあるという事を示していますね。

楽譜の読むということ

私のように即物的な方は、音楽を感じることが出来ていないかもしれません。そのような方に向けて少し書きます。

音楽というのは「変化」があり、そこから何かが想起された時点で音楽の役割を果たしています。

西洋音楽の起源、古代ギリシアでは音楽は天文学と同等に扱われていました。つまり、音楽は宇宙のように未知な存在だったのです。音楽から何か想起されるということは、宇宙のような自然現象や畏怖、その他の何かを感じるということです。

音楽は常に変化しています。その「変化」に敏感になってみて下さいね。何故この音を書いたのか?この音はどんな意味を持っているのか?

音楽的な練習法とは?

意識の100%を「聴くこと」に向けること

私は散々記事で「体の使い方が分からないと意味ないぞ!」と主張してきましたが、これは音楽の源流ではなく下流にあること。恥ずかしいばかり…。

音楽の源流を無視した音楽は、音楽ではなくスポーツです。この音は何故あるのか?どんな意味を持つのか?を考えないと、音楽にはなりません。逆に、これさえ出来れば音楽になりうるのです。

その練習をするには、ひたすら「聴く」しかありません。一旦体のへの意識を解いて、音楽に耳を傾けましょう。その上で、気に入らない音があったら気にいる音が出るまで試してみましょう。

実際、古屋晋一氏の研究で、ピアノが上手い人は体の感覚よりも耳の感覚に頼っていると分かっています。最重要なのは「耳の感覚」ですよ!

自分の許さない音は出さないこと

これはショパンの名言です。自分の耳は、いわば自分の師匠。自分の師匠に気に入らない音を出せますか?気に入らない音を放置しておきますか?これは無いでしょう。

自分の演奏をよく聞き、許せない音を探し出し、そこを許せる音にしましょう。

音楽の源流であること

音楽の源流は「畏怖」や何かしらの感情、圧倒的な自然を前にした感情でしょうか?その感情を裏付けるため、つまり下流に体の使い方や、音量などの物質的即物的な事象、練習が含まれます。

みなさんは下流で練習していませんか?もちろん大河に育てるためには下流の水勢が必要です。しかし、音楽の源流を常に意識することは、下流の水勢に大きく影響を与えるでしょう。

まとめ

音楽の源流から下流にかけての意味や、音楽的な練習法について記したつもりですが、結局大事なことは「よく聴くこと」に尽きます。よく聴くことによって、結果的にテクニックが付いてきます。

みなさんも、1度体の感覚から離れて、耳に100%の意識を向けてみて下さいね!

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