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備忘録というか、駄文というか、苛立ちというか、そのようなもの。
中の人の頭の中。
練習について
さまざまな練習法をサイトにアップしてきたが、これらは全て「ピアニスト」に対して求められることで、「芸術家」に求められる素質ではない。天才は練習法など気にせずにホイホイ弾いてしまうが、私のようなピアノの神様に目を掛けてもらえない者は徹底した練習が必要である。
しかし、忘れてはならないのは、私たちは「音楽」を奏でているということ。ハノンをやろうが、コルトーをさらおうが、リストのえぐいところをさらおうが、そこには音楽が溢れている。音楽を失った音は、まさに「機械音」になる。
練習時間について
練習時間を上達の指標にしてはいけないと散々言ってきたが、どうも私のような凡人には多大な練習時間が必要なようである。天才に関しては、それほどの時間を必要としない。演奏科学の研究者は天才が多いし、ピアニストを研究対象にしても昨今のピアニストは皆天才だ。
私は和声とソルフェージュ(殊聴音)に関しては天才と言える。ほとんど勉強しなくても勝手に音がなるし、音も取れる。なぜ旋律を見て和音が浮かばないのか、なぜ絶対音感が身につかないのか、私には理解できない。
ピアノに関しては真逆のことが言えるに違いない。私は勉強しても全然弾けるようにならない。なぜ練習して弾けないのか、なぜテクニックが身につかないのか、私には理解できる。天才ではないからだ。
指を固めることについて
指を固めるという発想は、ピアノの音を聞いたときに感じた。今世に出ているピアニストの音は、必ずホールに響き、透き通っている。なぜなのか?それはきっと指を固めているからだろう。
私は今リストの超絶技巧練習曲をさらっているが、どうも音が鈍い。運動神経が極端にないような音がするので、一生懸命考えた。考えた末に生まれた答えが「指を固めること」だ。
なるほど、指を固めると音も硬くなってパリッとした音質になる。なるほど、しかしこれでは脱力どころか力を思い切り込めなくてはならないことになる。1日その気になってさらって、次の日筋肉痛になったらやめようと思っていたが、不思議なことに筋肉痛にはならなかった。
つまり、ピアニストは凡人が思い切り力を込めるということを普通にやってのけていたのだ。脱力奏法を提唱し始めたひとは知らないが、私は恨む。
夜中の練習について
私のピアノの部屋は家の外にあり、ほんの少しだけ防音がされている。中と外で会話ができるくらい音が取れるということだ。
音大に入ると時間がない。まぁ往復3時間かけて通うのもいかがなものだが、致し方ない。だから、私は夜練習するしか道がない。
朝は起きれるが、集中度合いは最悪。下手になる気しかしない。
一応苦情が来たことはないのだが、やはり0:30頃になると私も苦情が来ないか心配になるのだ。ピアノにあらゆる手を使って防音を施しているが、グランドピアノの音はデカイ。
別に家が隣接しているわけではない(田舎)から弾いても良さそうなのだが、私の良心は疼く。
絶望について
ピアニストはやはり天才しかなれないものなのかと、わたしは思い始めている。天才と凡人の考える量は圧倒的に凡人の方が多く、実に賢い。もはや考えの四次元ポケットのように、作品に対してあらゆるアイデアを出しては処理していく。
しかし、あくまでそこは四次元ポケットなのである。全くキリがない。もはや本番までに仕上がるということはないし、上手く弾けない。
それに比べて天才はどうか。1日3時間どこの練習で、練習効率もクソも無いような練習で上手くなり、コンクールで上位をかっさらう。
凡人の圧倒的に努力は、天才の少しの努力には敵わない。わたしは音大にてそれを知り、いま絶望している。
わたしが2025年のショパンコンクールに出られるか?日本音楽コンクールで本選に残れるか?わたしはピアノで食べていけるのか?今している努力とは一体なにか?
わたしは悔しくてたまらない。
留学について
中途半端な実力で留学し、さほど実力を伸ばせず帰ってきて途方にくれているピアニストは多い。留学したら上手くなると誰が決めたのか。
海外で仕事ができるくらい上手くなれば良いのだが、そうでなければ日本にも仕事はない。クラシック音楽の需要は低いのだ。
そもそも、ピアニストはそんなに多くいらない職業でもある。コールセンターの人員は常に不足しているが、ピアニストはもはや飽和状態。名を知らないピアニストの方が多い現状にある。
今わたしはピアニストを目指し、また留学を目指しピアノを弾いているわけだが、これから待ち受ける未来はいかに。未来に絶望する音大生の姿であった。
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